桜が咲きそうです!

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2015年09月



自分が、目指す山に上ってはじめて、下から登ってる人や、落ちこくmask house 面膜ぼれていく人に、手を差し伸べられるのだろう。

※(註)これは、あくまで、心象風景であって、現実の行動や現象は、また違うものです。


甘ったれている人を見ると、なぜかムカついてしまう。
わたしだって、こんなに頑張っているのに、こんなに冷遇されているんだ!!
と、またまた、へんなマイナスの感情がむくむく湧き上がってくる。

どうして、自分もデキが悪いくせに、人のデキの悪さに寛容になれないのだろう。
自分の器が小さいのだろう。
自分に厳しく、人にも厳しいのだろうか。
性格は、ひとそれぞれで、優劣、評価しがたいと思うが、人格、人間性の問題だろうか。
この年齢になっても、ぜんぜん、人間ができていない。


これは、精神的な世界であって、
現実の世界では、ほんの小さなこと、ささいなこと、たやすいことでも、
わあ、すごい、偉い!立派!尊敬できる!!と、わたしは、他に対して、かなり評価のハードルが低い。

現実の出来事では点数が甘く、精神面には、点数が厳しい。
つまり、理想と現実のバランスがうまく取れていないのだろう。

気持ちはあくまでも、高く高く、崇高に、理想は、天まで届くほどなのに、
実際に自分が出来ることといえば、たいしたことは出来ない。
このギャップがあるので、これを克服しないかぎり、ひとに優しく出来ない、思いやりの手を差し伸べられない。

わたしの課題は、現実と理想の調和をはかること。
言うばかりでなく、行動で示せ、ということ。
理想の高さが、自分を貶(おとし)めていることに気付いているのなら、
その悪癖を改め、良い方向へと行動で示せ。実践せよ。


さ、そろそろ、現実タイムが始動する。
今日は、日曜日だが、忙しい。

ママ友。

わたしに、ママ友などというものが、いたのだろうか??
いったい、いずこに?
公園で、子供を抱いたわたしは、どんな顔をして、なにを話して、どうしてたんだろう?
お砂場などで、遊ばせていたのだろうか?
その時の、ママ友たちの反応は???

公園デビューした経験は、あるのだが、残念なことに、その公園には人がいなかった???。
出没したり、集まったり、ママ友を選別したり、されたりする、そんな、肝心の「ヒト」そのものがない???
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そういう不毛の時期を経て、???

ママ友と呼ぶにはあまりにも、カビが生えているかも知れないが、
わたしにも、不思議なことに???いたんです、
というか、その中のひとりとは、今も時々、ングしたりしてるけれど。
ご近所さんでもあり、自治会、いっしょ(=おなじ)、子ども会、いっしょ、
学区、いっしょ、PTA、いっしょ、同じ地区での子供のお稽古事、いっしょ。
そういう人々が、何人もいた。

今も、自治会主催の町内掃除の時に顔を会わせたら、ご挨拶。
おしゃべりすることもある。
そのうちの一人は、1年半前、デパートで偶然会って近況を話したら、娘の結婚祝いをくださった。
自治会の役員になったりすると(順番制)、顔見知りの人が必ずいる。
このままいくと、老人会も、顔見知りの方々が何人もいることになるだろう。


へ~、と、わたしは、とても意外なような、
それでいて、そうだろうなあ???と、へんに納得するような、
こんな日が来るだろうと想像していたような、複雑な気持ちになった。


虚栄心を満たそうとすると、無理が生じ、いずれ破綻を品牌維護管理きたす。
自然な、あるがままの姿でいいのに、それより良く見せようとするのは、虚栄心の表れだ。
虚栄心は、向上心とは、違う。
向上心は、自分が上がって行こうとして努力すること。
努力内容も見直し、方法を試行錯誤する。
虚栄心は、いつまでたっても努力が追いつかず、現実に不満があり、努力を放棄した末の境地。
実際の自分、現状に客観的に向き合わない、奢りがある。謙虚な姿勢の反対。

向かおうとするのは、現実より上であるが、努力をする方向性が間違っている。
あるいは、努力の内容が、ずれている。
うまくいかないなら、原因を探求し避孕方法 、原因をひとつひとつ修正し、消していく努力をすべき。

虚飾の世界にあこがれているだろう。
もっと地に足つけるべき。
自分の実力をちゃんと見据えて、自分のできることを模索すべき。
実力がアップする想定で、次の計画、目標を立てても、実力が想定以下にしかアップしない場合は、
微調整、見直しが必要だ。
その作業をする時間が待てない、即、輝かしい自分でありたい、と感じるのだろう。

ましてや、自分本人のことではない、子供の学力や、夫の経済力は、妻が、誇らしげに見せびらかしたとすると、
その瞬間、周りから見ると、色あせて見える。

財力や肩書きなども、リタイアしたり、社会制度が変わったりすると、力が及ばなくなったり、減少、もしくは、なくなる。
そんなものに、しがみついている人は、哀れだ。
別の確固たる芯を自分の中に、築くべculturelle兒童益生菌きだろう。

「定年後のサラリーマンの生き方」のような本を読むと、あれこれ、お偉い方々が、いっぱい書いておられる。

 

その芯を、試行錯誤で、築き、磨き上げ、完全に完成させることは、
一生かかってもできないことだと、わたしは思っている。

未完の人生。
完成しても、しなくても、待っているのは、「死」だけだ。
「死」イコール、いかに、生きるか、だけど。

 近、好きでいつもこっそり見に行っているブログ。
先方は、隠れ読者であるわたしの存在など、非常にそれもいい。
ブログ?カテゴリーも世代も、状況もまるで違う。
だからなのか、???面白い。

世代は、ちょうど娘の世代である。
比較する気は全くないが、たまたま同じ世代なので、
う~~~ん????こうも違うものなのか、と、ある意味、感心する。

なにが違うかと言うと???
やはり、モノの考え方、行動の仕方、友人のタイプ、???。
180度違う。



さらっと飛ばして、さあ、お次は、100億円。
こうなると、豪邸とかそんなカネのかかるものは一通り揃え、あとは投資一本やり。
普通の生活をしつつ、目を血走らせながら、マネービジネス。
失敗したら、えらいことに。
プラスだった詩琳 好唔好分だけ、マイナスに。おお、こわい。
こうなると、お金に飲み込まれる?
いや、100億円だと、そこまでアクセクしないかも。
けっこう優雅に暮らせる。(あたりまえか)


だんだん、夢を通り越して、想像することに疲れてきた。
現実とかけ離れたことを想像し詩琳ても、スケールの小さい、たいした夢も描けず、
どうもチマチマして、よろしくない。

映画を作りたい、とか、ビジネスを展開したい、とか、なんか、あるだろうに。
自分として食指が動かないこ詩琳とを想像しても、面白みに欠ける。

?????

お金が無制限にあるとすると、
わたしは、一度、教育費に無尽蔵にかけてみたい。
もう、子供は成長してしまっていて、すでに手遅れであるが、想像だけでも楽しい。

生まれた時から、超一流の保育士、情操教育のプロ、英才教育のプロ。
そういう人たちに、プランを作成してもらい、ピアノ、バイオリンは、○○音大の○○教授、
バレエは、ポリショイバレエ団のロシア人教師、幼児英語は、幼児英語専門のオーソリティ、どこどこの、だれだれ、
小学生になると、小学生向き専門家の有名なだれだれ、
夏休みは、世界各国、現地でホームステイしつつ、実施研修プログラム体験。
超一流のホンモノしか触れさせない。
ディズニーランドとか、とんでもない。ホンモノのシンデレラ城を貸しきる、とか。
食べ物も、芸術も、衣食住すべて、見るもの触れるもの、超一流。

そういうふうに育てたら、子供は友達がひとりもできない
かも?
変わり者みたいになってしまうかも?
お金と手間隙と愛情をたっぷりかけて、けったいな子供から大人に成長しても???なあ???。

一流の芸術家になるとはとても思えないし。
一流の研究をするのか、発明をするのか、まったくの未知数だし。

好きなものは、「どらえもん」、と、「お茶漬け」、みたいなかんじで???。
まあ、それでもいいけれど。

超一流のシャワーを浴びせるにも、やっぱり、分野を絞りこまなければいけない。
なんの分野に?
芸術? 学芸? 学問? スポーツ?
???????
???????

なんか、ちょっと面倒た。(いつも、面倒になる、悪い癖。集中?持続力がない)
おもいっきり、大好きなスゥイーツを食べているほうが、楽しいかも。

2013-09-20 | 子育て

わたしは、生まれてから今まで、集合住宅に住んだ経験が、あまり長くない。
東京に2年と、静岡県に2年で、合計4年。
偶然、東京も静岡も、5階建ての5階だった。

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深夜に書くと、ろくなことがない。
時間に制限がないし、皆、たいがい寝静まっている時間だから、闇の時間と言える。

睡眠不足になると、明日の活動にも差し障ってはいけないし。

なら、明日の朝、書けば?なのだが。

と、どうでもいいダラダラの前置き。
これは、まったく意味がない。


で、ここか鮮魚行ら、気合を入れて書き始めよう???。

パリのハナシは、皆さん、お好きではなさそう。
かといって、旅ブログでは、出歩いている内容がお粗末すぎて、これまた読み応えがないようす。
つまり、どっちつかず、ということだ。

ここしばらくは、パリネタは、やめることにする。
読んでいただくには、ぜったいに、おもしろくないからだ。

しかし、そう言っておきながら、かなり影響を受けた。

フランスには、無職の女性という人が、ほとんどいないようだ。(働ける年齢の場合)
専業主婦というコトバは、50年前に消滅したとか。
働いていない女性というのは、おそら詩琳美容く失業している状態なのだろう。
それは、男性であっても同じだが。

なので、結婚観もまったく違う。
男性の経済力をあてにしない。
稼ぎのいい夫を持つ妻も、仕事をしているそうだ。
何度も、結婚、離婚を繰り返す男女が、少なくない。
当然、その一方で、離婚しない夫婦もいるが。

日本でも、優秀で、有名な一流企業に勤めていたり、公務員だったりしても、
一人だけの給料では、子供を生み育て、生活しづらい、ということで、
夫婦共稼ぎをしている夫婦が、少な詩琳美容くない。

しかし、子供ができると、マタニティハラスメントがあり、なかなかいまだに、厳しい現状のようだ。
一度、退職すると、復帰するのが困難になる。
それは、女性だけうけれど、特に女性の場合は顕著だ。

???

わたしの目線は、けっこう厳しいので、あまり自分の見方を書くのもどうかと思われる。
筆が鈍る。。。。

世の中、広い目で見るべきである。
誰からも突付かれることのないように細心の注意を払う。
しかし、それじゃあ、書き手は面白くない。
建前ばかりの政治家や、キレイごとに始終する、学校の先生のようになる。
独断と偏見、押し付け、自分流ゆがんだ見方があってこそ、書いていて楽しい。



なので、どこの誰であろうが、自分の歩んできた道、ひとつひとつの歩みを愛しみ、
これからもずっと歩いていってほしいものだ。
つい最近、こっそり始めた、オモチャのようなブログ。
今朝、すべての記事を非公開にした。
なんだか、すっとして、ほっとした。

???

モノだらけの空間(部屋ではなく、ひとつの2Fホールみたいなもの)、
そこを今朝、通って、これ、おそらく、処分するだろうな???という予感がアタマをよぎった。
わざわざ、ご親切に、断捨離できないわたしのために、不用品処理場までご紹介いただいたという、
困り者であるわたしだが。

ブログで、ぶーすかぶーすか書いているのは、エネルギーチャージのためでもある。
溜めて溜めて溜めて、やっとこさ、動く。
これは、わたしのパターンだ。
なので、この「溜め」作業に、お読みいただく皆さんを巻き込んでいることになる。
はた迷惑なことだ。

ブログをマジメにお読みいただいているリアル知人からは、
直接、「あんた、はやく始めなさい」と、お小言を頂戴したりする。

???

カタログギフトの申し込み期限瑪姬美容 暗瘡が今日になっているものがある。
今月には、それを含めて、なんとカタログ締め切りが3つもある。
最近は、どこもかも、モノの押し付けは遠慮されるようで、カタログ流行(はやり)である。

昨夜、いよいよ翌日に締め切りを控えるカタログに、真剣に取り組んだ。
3つとも食品に統一すると、献立が立てやすく合理的かな、などと計画を立てる。
が???どれもこれも3つとも食料では、ものがある。
かといって、モノにすると???ああ、、、断捨離対象を増やすばかりか。

しかし、好きなものを集めて、どこが悪い?
と、また開き直り。
食べてしまえばそれで終りか?
いや瑪姬美容 暗瘡いや???モノで残っても、周りが迷惑?
だが、まだあと20年ぐらいは、わたしは、その、気に入って選んだカタログのモノを大切に愛しむことだろう。
なら、断捨離は、この際、考えなくてもいいのでは????
うんぬんかんぬん???

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