自分が、目指す山に上ってはじめて、下から登ってる人や、落ちこくmask house 面膜ぼれていく人に、手を差し伸べられるのだろう。
※(註)これは、あくまで、心象風景であって、現実の行動や現象は、また違うものです。
甘ったれている人を見ると、なぜかムカついてしまう。
わたしだって、こんなに頑張っているのに、こんなに冷遇されているんだ!!
と、またまた、へんなマイナスの感情がむくむく湧き上がってくる。
どうして、自分もデキが悪いくせに、人のデキの悪さに寛容になれないのだろう。
自分の器が小さいのだろう。
自分に厳しく、人にも厳しいのだろうか。
性格は、ひとそれぞれで、優劣、評価しがたいと思うが、人格、人間性の問題だろうか。
この年齢になっても、ぜんぜん、人間ができていない。
これは、精神的な世界であって、
現実の世界では、ほんの小さなこと、ささいなこと、たやすいことでも、
わあ、すごい、偉い!立派!尊敬できる!!と、わたしは、他に対して、かなり評価のハードルが低い。
現実の出来事では点数が甘く、精神面には、点数が厳しい。
つまり、理想と現実のバランスがうまく取れていないのだろう。
気持ちはあくまでも、高く高く、崇高に、理想は、天まで届くほどなのに、
実際に自分が出来ることといえば、たいしたことは出来ない。
このギャップがあるので、これを克服しないかぎり、ひとに優しく出来ない、思いやりの手を差し伸べられない。
わたしの課題は、現実と理想の調和をはかること。
言うばかりでなく、行動で示せ、ということ。
理想の高さが、自分を貶(おとし)めていることに気付いているのなら、
その悪癖を改め、良い方向へと行動で示せ。実践せよ。
さ、そろそろ、現実タイムが始動する。
今日は、日曜日だが、忙しい。
ママ友。
わたしに、ママ友などというものが、いたのだろうか??
いったい、いずこに?
公園で、子供を抱いたわたしは、どんな顔をして、なにを話して、どうしてたんだろう?
お砂場などで、遊ばせていたのだろうか?
その時の、ママ友たちの反応は???
公園デビューした経験は、あるのだが、残念なことに、その公園には人がいなかった???。
出没したり、集まったり、ママ友を選別したり、されたりする、そんな、肝心の「ヒト」そのものがない???
そういう不毛の時期を経て、???
ママ友と呼ぶにはあまりにも、カビが生えているかも知れないが、
わたしにも、不思議なことに???いたんです、
というか、その中のひとりとは、今も時々、ングしたりしてるけれど。
ご近所さんでもあり、自治会、いっしょ(=おなじ)、子ども会、いっしょ、
学区、いっしょ、PTA、いっしょ、同じ地区での子供のお稽古事、いっしょ。
そういう人々が、何人もいた。
今も、自治会主催の町内掃除の時に顔を会わせたら、ご挨拶。
おしゃべりすることもある。
そのうちの一人は、1年半前、デパートで偶然会って近況を話したら、娘の結婚祝いをくださった。
自治会の役員になったりすると(順番制)、顔見知りの人が必ずいる。
このままいくと、老人会も、顔見知りの方々が何人もいることになるだろう。