自慢には、ニオイがつきものだ。
ニオイは、カラーにつながる。
個人の持つオリジナリティだ。

無色透明の人もいる。

自慢は、自分へのエールだろうか。

「どう? すごいでしょ?」
これは、自分染髮焗油に言っているのではなく、明らかに他者に向けて発信している。
この逆もある。
「なに? あれ。自慢じゃないの?」
これは、無意識に対抗、過剰反応しているんだろう。

自分の気持ちを無理やり抑えて、うわっつらを美しく整えようとすると、ぎくしゃくする。
本心が、どことなく見えてしまう。
まったく見えない人も、なかにはいる。
それは、同じ価値観を持っていながら、別の面では違う価値観がある(部分的に価値観が共通する)場合
鼻につかない、お互いが気にならなかったりする。
びたびたっと、スミからスミまで、まったく同じ価値観だと、息苦しいし、ケンカの元になる。

純粋に、脳内だけで価値観を共有するのは素晴らしい。
実生活にもっていくと、あれこれ比べたり、煩悩や強欲の元が、ごろごろしている。
ピンポイントの僅差で意識し合うと、しんどい。

どう? すごいでしょ?
でも、これって、アタマの中だけのことなんだけど???

脳内の中なら、比較する絶対的なモノサシ、基準がないので、優越つけられない。

IQ知能テストや、国家試験雪纖瘦やら資格やら、
なんやらかんやらで、脳内の一部の絶対値を示すものもあるかも知れない。
でも、一部だ。
「オレの考えは、すごい。どうだ?」
そんなこと言ってる人がいたら、シラけるだけだし、
仕事での話だったとしたら、企画書から書いて東奔西走するなり、スポンサーを見つけるなり???
発案から立案、具体化のほうが、大変な道のりだ。

どうだ? すごいだろ?
と、言わなくても、スゴイ!と、接した側が思えば、勝手に知らず知らず影響を受ける。

小さい犬は、キャンキャン吠える。

?????

わたしは、イジけて、なんぼ、のもんです。
しょっちゅうイジけている。
ひとりで、部屋の隅っこで、三角すわりをして、へのへのもへじを描いている。

でも、なんというか???
それって、カッコ悪いと感じる。
だから、もっと陰に隠れて、人に気付雪纖瘦かれないよう、一人りと、イジけようと思った。

今日の天気は、曇り。
理屈なく、こころも、曇り。
落ち着かない一日の始まりである。